
〜土俵の進行、裁判官の役目〜
戦場、土俵上の力士を立ち合わせ、勝負の審判を務め、勝った力士に軍配を挙げて勝ち名乗りを授ける人。
つまり、プロレスやボクシングにあたる人を相撲では行司という。
行司の一番の仕事は、土俵の進行で、ある意味では、相撲をスムーズに進める司会者であり、力士たちの相撲を盛り上げる演出者でもある。そのために、土俵上の姿勢や声量を、美しく明瞭なものにしようと努力している。
勝負が終わるとどちらが勝ったかを判定するのだが、どんな微妙な勝負でも、必ずどちらかに軍配を挙げなければならない。
もし審判がその判定に異議がある場合、「物言い」(異議申し立て)がついて、土俵上で話し合いがはじまる。
もし何度も「差し違え」があれば(判定に間違いがあれば)格下げや引退につながる。
力士同様、取組中は行司にとっても真剣勝負なのである。
立行司は腰に短刀を差しているが、これは、差し違えをしたときは切腹をする覚悟で臨むという真剣さの意思表示でもある。
〜行司の階級〜
力士と同じように行司にも階級がある。
立行司(木村庄之助、式守伊之助) 、三役格、幕内格、十両格、幕下格、三段目格、序二段格、序ノ口格が定められている。
つまり番付があり順位の昇降も有り得るということである。
年功序列によることなく、つぎの成績評価基準がある。
@土俵上の勝負判定の良否
A土俵上の姿勢、態度の良否
B土俵上のかけ声、声量の良否
C指導力の有無
D日常の勤務、操行の状況
Eそのほか行司実務の優劣
〜行司の衣装〜
土俵上の準主役である行司は、裸に大銀杏(おおいちょう)の力士に似合う行司装束を身に着けている。
現在の装束の直垂(ひたたれ)と烏帽子(えぼし)は、ざっと600年前の武士の服装である。
きらびやかでなんとも風格があり、それは日本の芸能、文化を感じさせ感慨深いものがある。
審判にあたっては「軍配」を使用することになっている。
その衣装は階級によって違いがある。まず、胸の菊とじ(ひも)、そして軍配に下がっている房。
これは、木村庄之助が紫、式守伊之助が紫と白。三役格は朱、幕内格は紅白、十両格は青(緑)と白、それ以下はすべて青(緑)か黒。
白い足袋に草履が履けるのは三役格より上で、幕内格と十両格は足袋だけ。
幕下以下は素足で袴は膝下まで括り上げている。そのため別名”はだし行司”といったりもする。
行司の装束は歴史的に変化している。明治43年(1910)までは裃(かみしも)、袴姿だった。
〜行司の装束は誰が準備するのか〜
行司には本場所ごとに装束補助費として、立行司五万円、三役格行司四万円、幕内格行司三万円、十両格行司二万五千円、幕下以下行司は二万円が支給される。(過去のデータより) 入門した最初の年には、協会から支給される装束補助費を一門の先輩が預かっておき、不足分を行司会が足して装束一着をプレゼントする。 したがって、少なくとも一着は貰えることになる。十両格以上の行司の装束は絹織物でかなりの高級品であり協会からの補助費だけでは足りない。十両格行司に昇進部屋の後援会や親方から贈られるのが普通である。また、新横綱は、立行司と一門の行司に装束を贈るならわしがある。 それ以外にも、装束は親戚や知人などから贈られることもあり、中には自己負担で仕立てることもある。一門の先輩から譲ってもらえることもある。
〜相撲字に代表される書記業務〜
行司の仕事は土俵上だけではない。土俵下や放送室で、力士の紹介などの場内アナウンスをしているのも行司である。
取組表や星取表の原稿を書いたり校正をしているのも行司。巡業先への列車やバスなどの手配や経理関係、さらに自分の所属する相撲部屋の総務的なこともする。
「力士数」を記入して協会に提出したりもする。書記的役割が行司である。
行司はみな、新人のうちから相撲字を習う。番付表や一般の大相撲関係の表示にあるあの独特の太文字である。
〜行司になるには〜
行司になるために、特別な資格はないが、以下の規定を満たさないといけない。
義務教育を修了した満19歳までの男子で、部屋の師匠と行司会から相撲会に採用願書を提出し 、理事会の承認を受けること。
満19歳になってしまうと行司になることは出来ないし、行司の定員は45人と決められているので、欠員が出なければアウトである。
また、一ノ矢さんから伺ったことだが、視力は特に規定はないらしい。
目が悪くとも、コンタクトレンズは着用可能だそうである。(さすがにメガネは駄目だが)
行司をやる上で、最低限身につけておかなければならない知識・技術は特に無いそうで、日常生活での挨拶とかみんなと和をもってやるとか、そういう当たり前のことさえしっかり守っていけば大丈夫のようである。
晴れて行司になると、3年間は見習いとしての養成期間。
土俵上の裁きは所属している部屋、あるいは巡業先で、習字は国技館の中にある行司部屋で行うことになっている。
〜行司に定年はあるか〜
満六十五歳が定年。この定年制度は昭和三十三年(1958)九月に発足した。それまでは、立行司の身分は終身制だった。
〜行司はいつの時代から登場したか〜
歴史の上で行司が専門の判定役として登場したのは織田信長の頃。
「信長公記」には、元亀元年(1570)、常楽寺の相撲で木瀬蔵春庵が「行事」役(当時は、「行司」を「行事」と書いていた)として勝負判定したことが記されている。また、安土城の相撲では、木瀬蔵春庵と木瀬太郎太夫の二人が「行事」を務めていた。この両人は行司家の始祖と言われている。そのほか、行司の起源は節会相撲の「立合(たちあわせ)」であるとする説もある。節会相撲の「立合」は判定専門ではないが、相撲を立ち合わせる役割を果たしている。
〜行司は誰が養成するか〜
行司部屋(控え室)で格上の行司から軍配の扱い方や発声練習、相撲文字などの基本を学び、所属している部屋や巡業先で練習をすることになる。 幕下格よりしたの行司は「行司養成員」とされ、師匠の年寄(立行司含む)が養成にあたる。 行司実務については、立行司と行司委員会が指導をする。同時に、一門の先輩行司や行司会の「監督」も指導する。このように幕下格以下の行司には師匠がいるが、十両格以上の行司は、自分で行司としての人格と技量を磨かなくてはならない。行司は十両格になって初めて一人前ということになり、協会から給料が出て部屋では付け人がつく。
〜行司の成績評価は誰が行なうのか〜
成績評価は本場所ごと、および巡業ごとに、審判部長、副部長、巡業部長、指導普及部長、監事が行い、考課表を作成する。一定の基準に基づいて作成された考課表は理事会に提出され、それに基づいて理事会は行司の階級順位を編成する。ただし、立行司は成績評価の対象から除外し、自己責任と自覚にまつことになっている。